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go州記!! オーストラリア一周旅行記



マウントアイサ編

 マウントアイサへは日曜日に入ったものだから、スーパーマーケットも何もかもが休みです。
 朝食兼用の昼食の為にマクドナルドへ入りました。考えてみたらこの旅が始まって初めてのマックです。
 ゴールドコーストからケアンズまでの間はそれなりのレストランなどが有ったのでそれなりの食事が摂れていたので、マックが有っても素通り。
 タウンズビルから西へと走り始めて以後、マックは無かった様に記憶しています。
チャーターズタワーズではそれなりの町だから飢え死にする事も無かったが、以後このマウントアイサへ付くまでの間、リッチモンドがオアシスの様に有るだけで、マックすら無い。
 ここまで書くと、いかにわたくしがマウントアイサのマクドナルドで感激したかが判るでしょう。
久し振りのマックは本当にうまいと思いました。

 クイーンズランド州の西の首都なんてふれこみが有るほどの町だからもっと凄い所を期待していたのですが、やはり炭坑の町。

 リッチモンドを出た時点から地球の果てまで続くのかと思う程の平坦地の道路をひた走りに走りましたが、マウントアイサが近づくにつれてその景色に立体が加わってきます。

 平面風景だけだと目をどの位置に留めたら良いのか苦慮しますが、遠くにでも山あいが見られると言うのは何かホッとする物が有ります。


 マウントアイサの町は盆地の様になっているので、町に入る段階で綺麗に鳥瞰出来ます。
一番最初に大きな大きな煙突が目に入りました。火力発電所です。

マウントアイサの町並み

 早速モーテルを探して入りました。この町でも一番綺麗なモーテルと書いてあっただけに、リッチモンドで一番高いモーテルの約2倍の宿泊料でした。
 夕方付随するレストランで食事をし、バーで飲んでいると話し掛けてきたのがここのオーナーでした。
宿泊費が高いと言ったら、そうだろうこの街じゃ俺の所より高いホテルすら無いぞ、と自慢された。
わたくしが言ってる事と意味が違うんだけれどなぁ。

 さて観光です。一応インフォメーションセンターを表敬訪問。


マウントアイサのインフォメーションセンター


 パンフレットや案内書を数多くの種類を貰って、さぁ、どこから攻めようかと悩みました。しかし大半が自然を題材にした所ばかりなので4WDじゃ無いと行けない。
 そこでアンダーグラウンド病院(右写真)と言うのが目に入ったのでパンフレットの地図を頼りに走った。
 2車線の道が何の断りも無しに住宅街の一方通行になってしまう。
あれっ、行き過ぎたかな?
 地図では結構大きな空地になっているにも関わらず廻りは古い家ばかり。

 やむなく車を道路脇に停めて、少し歩くと庭仕事をしているおばさんがいたので聞きました。
ああ、それならその大きな病院がそうだよ、と教えてくれた。

 どこがアンダーグラウンドじゃ。
大きなビルディング病院なら誇大広告じゃ無いかと、憤ったけれど再度車を走らせ病院をぐるっと一回りすると、空地が未舗装の駐車場になっています。とりあえず駐車しました。
 何とそこに小さな看板でアンダーグラウンド病院と書かれていました。
 開館時間は10時から2時までと書かれています。
 現在の大きな病院の小さな裏山がそうだったのです。

地底病院

 勿論入りました。普通の古い家が改造されて博物館と入り口の役目をしています。
あれっ、受付は、入場料金はどこで払うのかな?

 声をかけると奥からおばさんとおじさんが怪訝そうな顔をしながら出てきました。
おばさんはわたくしの顔を見た瞬間、すっごく嫌な顔つきに変わってプィッと横を向いてしまった。
 そんなに変な顔なのかなぁ、わたくしって・・・
 一応案内人にそのおじさんが付いてくれて、その博物館から裏山までそして地底まで同行してくれ観光用の説明を聞きました。

 聞くと、第二次世界大戦初期に北はダーウィンが日本軍に占領され、東はタウンズビルが空爆を受けたので日本軍がここまで攻めてくるのじゃ無いかと、慌てて病院の裏山に穴を掘り、重症患者や手術設備を持ち込んだそうです。
 だからなのですね、そんな話しなので入ったとたんに怪訝そうな顔を見たのもうなずける。おばさんがあっち向いてホイをしたのは。納得

 内部は20メートルx20メートル程度で、そんなに広くは無いが手術室から入院室まで総て揃っていました。
 しかし結局は攻めて来なかったので一度も使われないまま現在に至っているとの事でした。
 まぁ当時の日本軍部の内情を知れば、3000キロメートルも内陸部へ攻め込む事なんか考えられ無かったのですが。最機密事項・・・

 現在では隣接する病院とは関係なく保存団体が保有していて、基本的に入場者の寄付だけで賄っており、おばさんもおじさんも勤労奉仕だとの事だった。
 そこまで聞くとやむなく財布を取り出し、大枚10ドルを寄付してきました。
 旅行前にマウントアイサも住んでみたい町の一つに加えていたので不動産価格を見ました。
やはり内陸に入っただけチャーターズタワーズより遙かに安い。
普通の家で7万ドルから8万ドル。日本円に換算すると600万円程度で購入出来ます。
 少し高い物件で170万ドルと言うのが有りました。
よく見てみると11750ヘクタールの土地付きと書かれていた。
えっ、坪に直すと3500万坪?単位を間違えたかな、、、いやいや合ってる。
購入しても管理が出来な〜い。想像を絶する。



 マウントアイサの町を出てノーザンテリトリーへと向かった。

 50キロメートル程度走った所に第二次世界大戦サイトと言う小さな表示板が有ったので寄り道をしました。
 ハイウエイに平行して細い道が有るだけです。500メートル程向こうにその道路をフェンスで囲っています。

 手書きの様な説明看板によると、1941年に第二次世界大戦の戦火がオーストラリアに及ぶ様になった時、急遽、メインロード(役所名・道路公団)が、クイーンズランド州北部とノーザンテリトリーを結ぶこの道を造ったそうです。いわゆる現在のバークレーハイウエイの前身です。
 道路幅は16フィートで、マウントアイサからテナントクリークまでの間だそうです。現在その道は測道や退避場として一部が残存しています。
 現在ではこのバークレーハイウエイも1000台もの車が毎日通過する様になったと書かれていました。
 フリンダースハイウエイからバークレーハイウエイを走ると、至る所に第二次世界大戦の痕跡が有ります。病院跡や空港跡も見てきました。

 しばらく走ると車線幅が急に6メートル程に狭まります。中央線も有りません。
 一本道だから道を間違えた筈は無いのですが、これでハイウエイかと疑いたくなります。
 でも通行料金がただだから許します。

 クイーンズランド州最西端の町カモウエール(Camooweal)で燃料補給をしました。
 カモウエールケーブと言う看板が有った。
 富士の裏側に有る氷穴や風穴などの様な洞窟を想像しました。
 ガソリンスタンドのお姉さんに聞くと30キロメートルの未舗装道路で4WDでも一時間はかかると言うのでやめにしました。
 燃料が高い。ディーゼルで1リッターあたり1ドル11セント。普通ガソリンで1ドル20セントです。
 内陸部に入ると燃料費が高いのを実感させられました。

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