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go州記!! オーストラリア一周旅行記



アリススプリングスからアデレード編

 クーパーピディから北へ84km地点でソーラーカーと遭遇。日本チームでは無いけれど一位にくっついていれば色々と情報も入るだろうと86km地点でUターン。

今年一位のオランダチーム車

 こちらは120km/hで走行しているにもかかわらず追いつかない。くそー奴等は何キロで走ってるんだ。
 Uターンから30km地点で追いつきました。
 考えていたよりも小さな車両でした。そのまま後続車の後ろにピタッとくっ付いての走行。
 再度クーパーピディを3時31分に通過しました。この時間になるとそれぞれの作業場からマシーンが道路上を走り町の方向を目指しています。3時に作業を終えるのだろう。

 約5分程経過したころソーラーカーの左前輪がパンク。修理と言うよりか車輪交換だが3分で作業を終え再度走行を開始。その間わたくしは、写真を撮ったり、色々と質問をしたり、、、
 話した20代後半と思われる男性はドイツ人でチームはオランダチームだとのこと。

パンク修理が始まった

 パネル全体での発電能力は2000Wも有ると言います。ビックリ!さすがオランダ!でもメカはドイツ人が大半でした。
 サポート隊の動きは軍隊の様に訓練されていて素晴らしかったです。
 修理を終えたソーラーカーは自転車を漕ぎ出した程度の速度で走り始めました。
 その隊列は10分程前を走る道路情報車と、ソーラーカーの前後に黄色灯を点滅させたパイロットカーが2台、トレーラー車1台、サポート隊車3台が順に並んでの行列です。

 まぁ見るものも見たし、でも今からアリススプリングスへ引き返して行くのは、、、、よし、次の目的をさっき見たソルトレーク視察に変更。
 5時で走行を中止しなくてはならないのだろう、道路脇の空地にソーラーカーのグループが停車していたのを横目に見てわたくしの愛車は一路ソルトレイクへ。 

 国が指定している進入禁止区域を過ぎた左側に素晴らしいソルトレイクが見え、パーキングもある。日も暮れて来たころだし今夜の宿営地点と急遽決定。
 薄暗い中、興味の方に引きずられソルトレークの表面を歩いて来ました。

 10月22日、朝5時半起床と同時に車から飛び出してレイクハートと言う名のソルトレイクの湖面をランニングしてきました。
 車に帰って洗顔、歯磨きを終えドリップでコーヒーを入れている時に、6時半過ぎ、一人でキャラバンカーを引いて一周しているという80歳のおじいさんがパーキングへ入って来ました。
 昨夜は日が暮れてしまってこんな良い所が有ったなんて知らなくて2km程手前の道路に車を停めて寝たという。一緒にコーヒーを飲みました。
 キャラバンカーを引いてと書きましたが、厳密に言えば、荷台にキャラバンカーを乗せ固定したトラックです。
 クイーンズランド州の北西端、カーペンタリア湾に面したカルンバ(Karumba)の田舎の牧場などを総て息子達に任せ、一ヶ月をかけて誰の手も借りずにこの車を自作したそうで、更に何と16ヶ月間かけて6万kmを走ってオーストラリアを一周し、キャラバンカーで生活しているという。あと2ヶ月程クイーンズランド州を走ってから帰るそうです。

 今回の周遊は4度目だと言う。最初は夫婦で廻って、連れ合いを無くしてから自分だけで廻りだしたそうだ。年齢を聞いてもびっくりしたし、話しを聞くに連れ、、、驚愕の一言ばかりでした。恐れ入りました。負けました。

 更に同じ様な車が来ました。今度はダーウィンのプランバー配管工だった。彼はポートオーガスタの北での仕事に行くそうで、彼もお爺さんの話を聞いて感心していた。
 ハエの活動が活発化してきた所で、わたくしの廻りの人々が次の目的地へと向かってそれぞれが出立して行った。

 この展望台とレイクハートとの間に線路が走っている。7時22分、列車が通過した。44両つながったコンテナ列車だった。
 新幹線の12両でも長いと思っていたのに、この国の列車こそ列車という名前にふさわしいと感じる。

 10時20分、眼前を例の1位のソーラーカーが通過しました。
 もう一度、レイクハートへと行った。昨夜は気が付かなかったが、なんとここにも進入禁止と国が指定している看板があった。
 読んでみると、
 第二次世界大戦で日本軍がダーウィンを占領した時、慌てた豪州軍とアメリカ軍は日本軍の南下を防ぐ意味でこの地一帯に地雷(Land Mines)をばら撒いたそうだ。
 それが未だにそのままになっていて入ったら危ないよと看板だけが掲げられている。オーくわばらくわばら!
 ひょっとしたら昨10月21日でわたくしの人生は終焉を迎えていたのかも知れない。
 何も知らないでランニングしていたわたくしは、単なるラッキーだったのかな?


 11時34分、3位のアメリカ車が通過したあと、パーキングに開催団体のステッカーを貼った車が入って来ました。
 聞くと、日本車は青山学院大学のチームで現在9位。ここを通過するのは明日になるだろうとの事。
 ついでにハイスピードカーの事を聞いたら次回走行するのはレイクガーディナーだと教えてくれました。現在のレコード保持国はアメリカで記録は忘れたが1300km/hぐらいだとの事。
 次回走行用の車は出来上がって西オーストラリアへと到着しているが費用が無くて、今は資金集めの最中だそうです。


 ここの展望台には飲用は出来ないと書かれた大きな水タンクがあります。そこで暇つぶしに洗車をしました。ついでにボンネットを開けるとラジエーターの表面には虫の死骸がこびりついていたので、エンジンルームまで大掃除。

 ソーラーカーレースの日本車を待っていても仕方がない、今からポートオーガスタまで走る間に大きなソルトレークが幾つもあったのを思い出し、いっそソルトレークに沈む日没の写真を撮ろうと考え、一路アデレードへと向けて車を走らせる事にしました。

 途中、ソルトレイクに到達する毎に地図を見ながら磁石を当てて西日の方向を探るのですが丁度良いポジションが見つからない。では次のレイクへ行って探そうと先を進む事に依ってポートオーガスタまで到着してしまった。

 案内板を見ているとアクラマンレイクというのを見つけました。これがアクラマンクレーターじゃぁ無いのか!よし明日博物館へ行って聞いてみよう。
 アデレードの博物館へ行くつもりだったがポートオーガスタで夕食を食べ、100km程走り過ぎた所で睡魔。丁度パーキングが有ったので車を寄せ爆睡しました。

 10月23日、朝6時30分日の出と共に目覚める。お尻の肉が痛い、腰も痛い。変な寝方をしたのだろうか。歯磨きと洗顔を済ませ再スタート。

 ポートオーガスタとアデレードの丁度中間地点にあるスノータウンで燃料補給した。携帯電話が使えるのでアデレードの宿を捜しました。
 まず一軒目、一泊150ドルで27日まで満室だと言う。高いし、空室が無いというので、二軒目に電話、一週間350ドルと言う。勿論見ずテンで即決申し込みした。しかし、やはり月曜日からでないと空室は無いと言う。
 参った、、、宿が無い。開催中のラグビー世界大会のおかげでどこのアコモデーションも月曜日までは満室だとの事だ。
 車で長距離を走り過ぎ、お尻の付け根と腰が痛い。何とか少しでも長期の療養をしようと考えているのに、、、宿が無いでは仕方が無い。 

 仕方が無いので、パンフレットの束を眺めコーヒーをすすっていると隆起山脈の地膚が直接見られるフリンダース山脈を見つけました。
 よしUターンだ!見に行こう。

 そこで、ポートオーガスタへと再度帰り着いて川沿いの公園でランニングシューズに替え、体調を調える為に散歩とマラソン。 ここは古いポートオーガスタの港だったところだが整備が進んでいて心地よかった。
 博物館の開館時間が来たので駆け込みました。入館料8ドル50セントを支払って勉強。

 例のゴンドワナ大陸とオーストラリア大陸との分裂が動画となっていたので、博物館から出てきてVTRテープを購入しようと探したが無い。聞いたら棚に並んでいるだけが在庫と言う。仕方なく他の物を物色しているとクレーターの写真があった。
 これが見たかったのだと係員に話すとすぐ近くにあるよとの事。勿論、喜び勇んで向かいました。
 でも、、、片道160kmがこちらではすぐ近くです!

 余談だけれども、博物館のお姉さんは愛想がいい。博物館の映画館から出てきた所で、どうだったと聞かれたので、英会話の勉強にと思いっきり誉めちぎったら、又来たいかと聞くので勿論と断言したら、12ヶ月間タダの入館チケットをくれました。
 入館料8ドル50セントでも安いと思ったのに、儲けです。うーー良い人だ。しかし考えてみたらわたくしには必要ないものだった。

 とりあえず、博物館の前にあるコールスで食料品を仕入れ、フリンダース山脈の地層を眺めながら、夢にまで見たクレーターの中へと入って、夜を明かそうと思いながら車を走らせました。
 途中の町クオーン(Quone)からは既にフリンダース山脈の中だが、山の中を感じさせない程の高原牧場地帯です。至る所に羊の群。
 ホーカー(Hawker)へと入った時にはかなり日が傾いてきました。急がなくっちゃとコーヒーショップも横目に見て走行を継続。

 クレーターに着いた時は日没後でした。薄暗い中を走り回りましたが堪能しました。昼間なら遊覧飛行が出来るとクレーターの外側に飛行場までありました。
 しかもいん石が落ちたときの中心点にはウイルペナリゾートなんて宿泊施設まであって、インフォメーションセンターまであります。しかし7時10分にもなっていたので係員は誰もいず、滞在客は10人程だが、明日からオフロード大会が有るのか10台程の4WDが駐車場で揃っていて、ワイワイガヤガヤと結構賑やかでした。

 クレーターの中を走り抜け、周辺の山塊を眺めると一つ一つが独立した山の集まりに見えます。規模が大きいのでやはり上空から見ないと実際の感覚はつかめません。
 日没前に慌てて撮った地層の写真は考えてみたらクレーターの山でした。
 クレーターの名前はウイルペナパウンド。直径は約1km。

ウイルペナパウンドの内側

 アクラマンクレーターは250kmも離れた所で隕石が見つかったと言うので、ここのクレーターの隕石もバウンドしたのかな、明日、どこかの博物館で聞いて見よう。
 比高300mから500m程のノコギリ状になった山塊群だが、当初は3000mもの高さがあったと聞きます。長い年月で削られ現在の平地と山塊の形状になったものだそうです。
 でも、真夜中に見る屏風状になった山塊を眺めると被さってくる様に感じ気味の悪い物です。しかし素晴らしかった。堪能!!

 翌朝ポートオーガスタへと帰って、午前10時、ボタニックガーデンへと行きました。
 荒れ地を緑化したと言うガーデンですけど、庭よりか建物に興味を持って写真撮影。

 インターネットカフェを探しましたが一軒も無い。役所のサービスSAと図書館、博物館の3ヶ所にあると言うが日本語は有りませんでした。サービスSAのは行ってみましたが接続されていなかった。
 やむなく図書館へ行きインターネットでカリフォルニア大学の古生物学の講義をただで盗み見しました。数台のコンピューターが使われていなかったので何気なく座って使い出したのですけど、ふと横を見ると、使用前に前もって登録をしてください、1時間1ドルですと書かれていた。既に1時間は経過している、でも誰も文句を言わない。
 こそこそと終え、書架の方へと身体を移し、知らん顔を装い、次は地球学の本を物色。結構有るものです。
 ゴンドワナ時代の地形図などをコピーにとり、それを持って又々博物館へと行った。
 
 例のただで貰った入館パスを使って再度博物館へ。昼食を博物館内のレストランで食べ、夕食は外のレストランで食べして一日中博物館と隣の図書館で過ごしました。
 結構、ノート一冊分のメモも取ったし、頭に入りきらない程の情報収集が出来ました。
 ウイルペナパウンドとフリンダース山脈の絵はがきを2ドルで購入。

 とりあえずアデレードまで車を進める事にしましたが、何故かハンドルを握ると睡魔が押し寄せてくるわたくしなので多分に漏れず中途でパーキング。
 薄暗くなる頃、数台の車がかなり離れた所に停車しました。まさか変な団体では無いだろうなと心配しながらも眠りに入った。

 誰かが車の周りでガサガサゴソゴソ。目覚めたら周りは真っ暗。ま、まずい!思い切って声をかけるとキャンプファイヤーをやるので薪を探しているとのことでした。ほっ。

 ヴィクトリア州のTAFEとRMIT大学のグループのソーラーカーチームで、10番目だとの事。
 このロイヤルメルボルン工科大学はメルボルン市の中心街に有り、メルボルンの東大工学部と言った大学です。

 夜を明かして早朝、ソーラーカー車両を見に行きました。聞くと1200Wを発電するそうで、今年の優勝車の2000Wには遙かに及ばないが、99年度の優勝車だそうです。
 機械構成はバイクと基本は同じとのこと、セルの寿命を聞くと電灯
に使用しているのは25年程と言う。
 NASAで使用された中古のセルパネルを購入し造られた車両だが、今年の出場の為に更に100枚を貼り付けている。
 パネル1枚自体のセルは23x6だったので合計では3500セル程度か。

 ドライバーは4人で交代。モーター部分が見あたらないので聞くと、前輪自体に組み込まれていると言う。それならパンクした時はその都度修理しているのかと聞くと、タイヤを交換するだけだという。それでも6分程度で完了するそうどす。しかし今年の優勝車の様に車輪自体を取り替えてしまう方法に比べれば時間は倍です。

 車の状況は総て無線で後続車へと送られ、コンピューターにインプットされ分析を繰り返し、無線でドライバーと交信するそうです。
 6時半まで話していて写真も撮らせて貰ったので丁重に礼を言いアデレードへ向けて車を走らせました。
 
 アデレードまで170kmと言う地点で大きな池を見つけました。ここにも塩の山が有りました。
 昔、昔、鳴門や香川県で見た事のある、T字型の板で塩をかき集める製塩方法だった。方法は江戸時代のものと大差が無い様にも思えます。
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 パースを14日に離れてから以後25日の今日までインターネットなんかには全く無縁の文化に親しんでいましたが、何とか無事にアデレードのビクトリアパークまで仮到着

 


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