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ゴールドコースト Today

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go州記!! オーストラリア一周旅行記



ブルーム編

ブルーム(Broome)

 色々な初体験ハプニングを乗り越えてやっとブルームへとたどり着いた。 それにしても一昼夜半での2200kmの走行は疲れた。

 とりあえず、宿舎だけが見つかれば、数日は滞在しても良いかなという街です。
 いわゆる西のゴールドコースト。気候も丁度ゴールドコーストと同じ様です
 何しろ人口が12000人しかいないが、街は観光客で溢れて、結構活気に溢れている街です。
 歩いていても何故かアボリジニーの姿が少ない。10%程度の比率なのではと思われる。住みたい街の内の一つに加えてよいかも知れない。

 ブルームの町並み

 町の規模に比べて随分と大きな空港が、町の真ん中にデンと構えている。
 その空港をL字型に取り巻いてビーチ側に町が存在する。
 ビーチには長い桟橋がインド洋に突き出ていてそれがブルーム港です。

 うろ覚えの名前だけれど、マイク・パリンハム氏だったと思うけれど、オーストラリア最大のプライベート空港を持っている人だ。
 実はその空港がこのブルーム空港なのだ。ここにはジャンボジェット機も飛んでくるし、公営の空港に何らひけを取らない空港です。
 でも最近知った事だが、空港利用客からそれぞれ1ドルずつ徴収してグレードをあげると言っているそうだ。
しかし、逆に考えてみればたった1ドルでグレードアップ出来る程の利用客がいると言う事ですね。
 まぁ観光の町だから、わたくしの滞在した時が繁盛しているだけでは無いのかも知れない。

 ブルームでのハプニング。

 ダーウィンから2200キロメートルをただひたすらに走り続け、夜八時頃にブルームに到着。
 到着が遅かったので旅行センターに行ったが勿論閉まっていた。
表示されている看板のホテルに総て電話をしたが、なんとその総てが満室だった。
仕方なく車中泊をも考えたが、行き当たりばったりでもし有ればと飛び込んだリゾートホテルに空室が有り、宿泊出来ました。
 3寝室も有り、風呂は6人程も入れる様な大きなのが一つと、普通サイズのが一つ。
台所設備も有るし、トイレも3個所。でも宿泊者はわたくし一人。
勿体ないと思ったがやむを得ない。しかもあとで聞いてみると当地では一番高いホテルだったそうな。空室が有った筈です。

 翌日、インターネットカフェを探す前に、日本人墓地を見てきた、1800年代からの移住者達の墓だが、随分と綺麗な墓地だった。
 大半は和歌山県、鹿児島県、愛媛県の出身者であった。
  真珠ダイバーとしての移住であったそうなので、日本国内でも海に関した地方からの移住者が多かった様子だ。昔の海人族だ!

ブルームの日本人墓地

 地理がわからないので走り回っていると、たくさんの人がたむろしていたので行って見たら、なんとここが月の階段のステージだそうだ。
 昨夜のアトラクションは夕方6時頃に終わったとの事だ。
 あ〜〜フルムーンの階段が写真におさめられなかった。
聞くと今夜も7時10分頃にもう一度有るそうな。よし、場所確保の為、五時頃からカメラの設置に来よう。
 それよりか宿だ!
 昨夜は知らずに一番高いホテルに泊まったから、今から安ホテル探しをしよう。

 幾ら探しても駄目ですねぇ、やはりどこも満室。
 でも5軒目で昨夜より50ドル程度安いリゾートホテルを見つけた。
昨夜と同じ様な広さだったが古い分だけ安いと言った感じかな。

旅行開始から19日目
 ムーンライズが7時10分と聞いていたので宿泊先のホテルからカメラや三脚の束を抱えて歩いたら15分程でビーチまで着いた。
 地図で確認して行ったのだがやはり町自体が小さいから距離も対して無かった。
 日本人の感覚がまだ残っているのだろう早めに早めにと言う感性から抜け切れていない。4時に着いたらチラホラ人がいるだけだった。
 今回は日本のショーが有ると言う舞台では、設営に平行してリハーサルをやっていた。
 どのあたりに月の階段が出来るのかと歩いているカメラを提げた観光客に聞いた。
彼等は数人のグループでイギリスから来たとの事だ。昨夜も見に来たと言うので的確な場所を教えてくれた。
 一応、自分の撮影ポジションを決めた後、ショーのリハーサルを眺めていると、 日本人墓地で出会った女性カメラマンが近づいてきて話した。
   ビーチの景観をも見ておこうと芝生に腰をおろしたら横にいた60歳程の現地人が話し掛けてきた。
 第二次世界大戦ではこれだけ日本人が働いている場所なのに、桟橋に停泊していたオーストラリア海軍の巡洋艦を日本軍が空爆して沈めた。
今でも海底に沈んでいるとの事だ。御陰で当時在住していた日本人達は可哀想だったよと言っていた。
 しかし考えてみたらそのおじさん、当時は生まれていなかった筈。

 余りにも時間に余裕がある。日本人墓地で出会ったワーキングホリデーの5人組の内の3人が横に来た。
 あれ他の二人は?聞くとビーチの遠く1km程先を指さした。
 よし、わたくしも時間をもてあましているからちょっくら月の階段の原理でも探ってくるかと、靴を脱ぎ捨てて荷物を預け沖合まで歩き始めた。

 何しろ遠浅だ。1kmも2kmも歩いた様に思っても海までたどり着かない。
途中何百ヶ所も小川の様になっていて水が流れている。足下はビーチから100m程度が砂浜で、以後はクレイ質の土だった。
 クレイ質のビーチの中で数本の小川が有る。小川の深さは30cm程度。
 潮が引いているので水は海へと勢いよく流れている。でも足首が浸かる程度の深さだ。
 これだ!原理は。
 いわゆる、月の光がクレイ質の土に反射して明るくなり、水の流れが黒く見えてそれが階段状に見えると言うのが原理だった。
 まてよ、水が反射して明るくなり、クレイが黒く見えるのかな?

 さっきの女性カメラマンに絞りとタイムを聞いたら、絞り13で13秒、3.5解放なら5秒程度と教えてくれた。

 撮影地点でカメラの設置を始めたら横にアメリカから来たという観光客が話し掛けてきた。
 彼等は昨日も撮影したと言い、5秒、13秒、15秒の撮影時間の違いをデジカメの画像で見せてくれた。
 大いに参考になったので、30分程の自然のアトラクションを2本のフィルムに納めた。仕上がりが楽しみだ。
 三脚を持っていないそのアメリカ人が貸してくれと言うので一番小さい三脚をお礼として差し上げた。

 自然のアトラクションの後は真っ暗な中、公園中央の特設ステージで日本のショーが始まった。
少ない人口の中1000人程も集い、日本の雅楽様な芸術に見入っていた。
 勿論わたくしもその内の一人だが、地球の裏側の片田舎で思いもしない日本の芸術に出会うとは、、、まして無料なんて感慨無量だ。さぶ〜

 先ほどの若者5人のワーキングホリデーグループと、月の階段アトラクションの後、わたくしの 泊まっているリゾートホテルに付随するバーベキューコーナーで食事をしようと言うことになり、賑やかに食った。
まぁたまには日本語でワイワイやるのも良い物です。
 彼等の一部は資金難の為に、ここで滞在して以後のラウンド費用を蓄積すると言う。
 まぁ行き当たりバッタリの旅行形態は、わたくしも一緒なのだが、どこにでも順応出来る若さが羨ましかった。
 

ブルーム日本人墓地の歴史(墓地入り口の案内石・ 日本語で書かれていた)

この日本人墓地の歴史は古く、まさに当地真珠業創世の期に遡る。そしてこの西部の小さな町と日本との親密な関わりを物語っている。 
この墓地で最初の埋葬が行われたのは、記録によれば1896年である。
 真珠業に携わった人達の内、かなりの人が海に溺れ、或いは潜水病のために亡くなっている。
 大きな石で造られた方尖塔には1908年のサイクロンで亡くなった人達の名がはっきりと刻まれている。
 同じ様にそこには1887年と1935年のサイクロンで、それぞれ140名の人達が亡くなったと記されている。
 1914年には33人が潜水病で亡くなっている。この墓地には707基919名の墓碑があり、その大部分は有色の浜の岩石をもって造られている。 1983年9月

 墓地の整備基金は日本財団。


9月14日-旅行開始から20日目
 朝一番でレセプションへと行き、宿泊料金119ドルと電話料金7ドル少々、約130ドル程度を支払った。
 昨日は一泊で200ドル払ったから少しは安くあがった。それにしても、このあたりは宿泊費が高い。
 ブルームに住んでモーテル経営でもするかな。宝くじをまず買おう。
 本来なら車の修理などをするつもりでしばらく滞在する事にしてはいたけれど、こんな宿泊費ではすぐさま財布がすり減ってしまうと 考えてブルームを離れることにした。
 コールスで食料を仕入れ、インフォメーションセンターでパンフを貰ったりしていたので少し出発時間が遅くなったが10時20分、 次の目的地サンドファイヤーへと走行を開始した。

 ブルームからパースまでの道路詳細地図をインフォメーションセンターで探したが見あたらなかったので、 わたくしが持参した古い地図を頼りに走る事にした。
 途中520kmもの間町の表示が無い所が有る。計算するとわたしの車は満タンで760kmを走行する。
手前の町で満タンにさえしておけば大丈夫だろう。
でも、、、何がハプニングとして起こるかも知れないのでとりあえず20リッタータンクを予備にして満タンにしました。
それにしても都会を離れると燃料費は高い。
 ゴールドコースト周辺では1リッターが70セント代で求められたのにノーザンテリトリーから 西オーストラリアの北部にかけては大体1ドル以上する。
高い所では1ドル30セントもした所も有った。単純にゴールドコーストの倍。
 ブルームまでの走行距離合計は7300kmだった。
当初言われていた一周で45000kmと言うのはやはりウソだった。まぁ25000km程度で一周できそうです。


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